高野山

 11月 7日

秋色に染まる高野山奥の院参拝とと根来寺

根来寺は新義真言宗の総本山として、興教大師の御廟を守り続けております。葛城連峰の端に、およそ350万㎡の境内を有し、国宝に指定される「根本大塔」、宗祖 覚鑁上人独自の教学をあらわす大日如来像・金剛薩埵像・尊勝仏頂像の三尊を奉る「伝法堂」を中心に、史跡 根来寺境内は中世の佇まいを残し四季折々桜・青葉・紅葉が変化に富み多くの参拝者の目を楽しませています


国宝大塔
本堂 奥の院入り口
紅葉に染まる 参道 大きな杉の木が

銀杏と紅葉
宿坊での昼食 鮮やかな紅葉

曼荼羅寺院 高野山 奥の院
(高野山真言宗)
大日如来

 高野山は紀の川の南方海抜900メートルの山上にあり、周囲を八葉蓮華になぞられた峰々に囲まれ、東西6キロ、南北3キロの一大仏都です。
 真言宗の開祖弘法大師が桓武天皇の勅許を得て延暦23年(804)唐に渡り、唐の長安にお いて、唐の国師である青龍寺恵果阿闍梨から真言密教を授かって2年の後帰朝の際、師より 授けられた三銛を空中に投げ「私が希う伽藍建立の妙地を示し給え」心に念じたところ、高 野山の松樹の梢に留まりまばゆいばかりの光を放っていたのであります。それを見た大師は、 この地こそ真言密教の修禅にふさわしい地であるとして、この山を開くことを決意されまし た。そして弘仁7年(816)太政官符をもって高野山の地を下付され、翌弘仁8年大師は高野山に登り七里結界の法を修し、現在の大塔の地を中心に伽藍地鎮の式を執り行い、ついで弘仁10年地主神として丹生・高野両明神及び十二王子、百二十伴神を勧請し、大塔・金堂をはじめ諸堂、僧房の建立が開始され伽藍を中心とした一山を「わが山は破壊することので きぬ諸天善神が譲り給う最尊、至高の金剛峰である。」と申され金剛峯寺と名命されました。
 

奥の院
【御廟】:承和2年(835)3月21日弘法大師は現身のまま御入定された。弟子達はご定身を浄窟に奉納して御廟を建立した。
【燈籠堂】:大師に献げる信者たちの燈明が幾万ももえている。そのうちの二つは一千年来もえつづけてきた。"貧女の一燈"と"白河天皇燈"で、いま一つは 昭和23年天皇から献ぜられた昭和燈であり、この三燈が常明燈として輝いている。