八重山諸島の旅
平成22年6月6日〜9日
6日午後のJALで那覇経由石垣島へ、午後8時前でも明るい島・三日間お世話になったホテル日航八重山
石垣島を拠点に八重山諸島の旅が始まった。
周囲6kmの隆起サンゴ礁の島中央に、サンゴの石垣で囲まれ、魔除けのシーザー、白いしっくいで固められた赤瓦葺などの特徴がある民家があちらこちらに見られる。フクギの防風林や碁盤の目のように走る白砂の道など、家の周囲にも特徴が。国の重要伝統的建造物群保存地区。赤瓦の屋根、珊瑚石灰岩の石垣、白い砂の道。美しい竹富島の集落を、のんびり水牛車に揺られ、案内人が披露してくれる三線弾きや民謡で島時間が始まった。 |
富島西南に続く皆治浜(カイジハマ)の別称。青い海の向こうには西表島を望む白砂の浜だが、海流が早く遊泳はできない。自分で星の砂を探すことができる。星砂は有孔虫の遺骸が海流に運ばれ打ち寄せられたもの。確かに星のように見えるが、これを初めに星砂と呼んだのは竹富島民。竹富島は「星砂の島」と呼ばれている。 |
<西表島>
仲間川天然保護区域 ・由布島水牛車
観光船でジャングルクルーズに、八重山ひる木など6種類のひる木の群生がマングローブとよばている。
マングローブ、ヤエヤマヤシ、亜熱帯植物の密林西表島の南東、河口からかなり上流まで満潮時の潮が入り込むの緩やかな流れとなっている。そのため、河口から6kmくらいまで海漂林が自生。下流はマングローブ林で、ヤエヤマヤシ群落も河口から2km付近に見られる。河口から約5kmまで観光船で進め、西表島ならではの素晴らしい景観を見ることができる。国指定の天然記念物。国指定の天然保護区域。 |
仲間川中流域、国内最大級のサキシマスオウ仲間川を約5km遡ると観光船の終点、ここからわずかに山中に入った所にある。樹高約20m、樹齢約400年で国内最大といわれる。大きく板状に張り出したものは「板根」と呼ばれる木の根っこで、この木の板根は高いところでは人の背丈の倍以上の3.9mもある。 |
西表島から由布島へ続く浅瀬を渡す水牛西表島と由布島を結ぶ名物の水牛車。満潮でも水深1m程の浅瀬をマングローブを見ながらゆっくりと進んでいく。由布島は、周囲約2.2kmの自然豊かな小さな島。ヤシの木など亜熱帯樹木におおわれ、色鮮やかな花々が咲いている。島全体が亜熱帯植物楽園として整備されている |
石垣島鍾乳洞
入り口付近にはマンゴやパパイヤの木が、金さん銀さんが植えた記念樹のガジュマロの木が、
鍾乳洞の中はひんやりとしていて泡盛の貯蔵もされていました。
多様な形の鍾乳石、音と光の体験型鍾乳洞全体の長さが約3.2kmという全国有数の規模。うち660mが公開されている。珊瑚礁の海底が隆起して形成されたため、洞内では珊瑚やシャコ貝などの化石を見ることができる。特に、石筒の形がとても多様で、かつ数が多いところが特徴。洞内には、イシガキカグラコウモリが棲息する。鍾乳石は絶え間なく成長し続け、100年に6〜10ミリと国内一の成長速度とされる。 |
<波照間島>
石垣島から高速船で約1時間、港近くに昔の税金を納めるための茅葺きの倉庫がありました。疎開した小学生の碑、連絡や灯台の役目をした塔や海水を淡水に変える施設・古井戸や風力発電の施設,もちきびを天日干しにしていました。途中星空観測タワーが、この島では南十字星も観測されるとか。 |
日本最南端波照間島は人が住む「日本最南端の島」碑は島南部の高那海岸の景勝地に立つ。ここからは視界270度にわたる太平洋を望める。1972(昭和47)年の日本復帰を記念して建立された。周囲にはハマユウの白い花も。 |
高那崎日本最南端の碑から東側へ約1kmに渡って続く高さ10数mの断崖海岸。琉球石灰岩が侵食されて形成されたもので、ここからは太平洋の雄大な景観が広がる。少し突き出た所が高那崎。岩礁に荒波が打ち砕ける豪快な風景を見下ろせる。海は透明度が非常に高く、目の覚めるようなマリンブルーの色彩に感動する |
ニシハマビーチ波照間の北西部にある海岸。波照間港付近から西へ約1km続く真っ白な砂浜で、訪れる人は少ない。「ニシ」はこの地方の方言で「北」を意味する。透明度は高く、波打ち際まで真っ青。遠浅で、リーフの近くでは熱帯魚もわかる。海上には西表島が見え、夕日も美しい。 |
高速船で | 茅葺き倉庫 | 疎開の碑 | コート | |
海水を淡水に | 古井戸 | もちきび | 波照間空港 | |
高那崎 | 星空観測タワー | 最南端の碑 | 島の牛も | 兵庫の石が |
洞窟からは | 紺碧の海が | 高那崎海岸 | 真っ白な砂浜では | 海水浴も |
高那崎海岸に咲いていた花々
唐人墓石垣島南西の観音崎にある唐人の墓。1852(嘉永5)年、アメリカへ渡航中のイギリス船で虐待を続けられた中国人奴隷が暴動し船は石垣島沖で座礁。 島へ上陸したが、その後英国軍により多くが処刑などで命を落とした。島民は中国人に衣食住などを援助、亡くなった128人の霊を慰めた。現在の墓は1971(昭和46)年に墓碑の跡に新しく建立したもので、悲惨な出来事とは対照的に明るく鮮やかな色が印象的。 |
川平湾
澄みきった海中には無数の珊瑚や魚、なまこまで鮮やかに見えました。珊瑚の間に熱帯魚も |
白い浜と小島が浮かぶエメラルドブルーの入江日本100景にも選ばれた石垣を代表する景勝地。周囲は亜熱帯植物が茂る公園。太陽の光によって色が変わる美しい海の下には、250種にもおよぶ色とりどりのサンゴが生息している。グラスボートでサンゴなど美しい海中を観察することができる。黒真珠の養殖でも知られ、人魚が住んでいたという伝説が残る。 |
バンナ岳
石垣市街の北側にそびえる標高230mの山。バナンスカスラインの展望台から、石垣島市街や名蔵湾、そして竹富島や西表島などの離島を望む。山の周辺は「パンナ公園」として整備され、亜熱帯植物の花が咲いている。 |
果物の女王ハラミツの果実ね市内中央はホテル日航八重山、地元で進化したミンサーは嫁ぐときに相手の男性に帯として送ったもので柄に特徴があり、意味があるそうです。石垣出身の歌手も紅白ではこのドレスで出場、空港ではタラップを上がり帰宅の途に |