札幌雪まつり
大通会場
1丁目 j:COM ひろば スケートリンク 2丁目 氷の広場 白き翼のプリンセス
屋外スケートリンクが大通1丁目会場に登場!東西20m、南北25mのリンクは、
ご家族で楽しめる体験型のアトラクションです。
3丁目 HTB PARK AIR広場 スノーボードジャンプ台
高さ24m、全長60m、最大斜度39°の巨大ジャンプ台で日本トップレベルのスノーボード、スキージャンプが繰り広げられる。日中はスノーボードやスキーの大会の他、ジュニアによるジャンプセッションを開催、夜は煌びやかな照明の下、ナイトセッションを連日実施する。
4丁目 よみうり広場 〜伊勢神話への旅〜
S今回、この式年遷宮を迎えるにあたり「第六十二回神宮式年遷宮」を奉祝(ほうしゅく)する大雪像を、今も伊勢に息づく神話を題材に創造し、この機会に、日本人のふるさと「伊勢」に触れていただき、この尊い神話の世界を通して、日本人のみならず世界中の人々に、千三百年もの間続く日本の形式美や伝統文化などを感じていただければと願い制作いたしました
5丁目 環境ひろば 豊平館
大雪像へのプロジェクションマッピングは世界初で、先進的なアート表現と雪像とのコラボでした。
、貴貴重な遺構であり、現在観ることの出来ない「豊平館」を大雪像でリアルに再現。さらに夜間には、文化芸術の創造性でまちの活力と経済活性化につなげていく「創造都市さっぽろ」の取組みの一環として、大雪像へのプロジェクションマッピングを世界で初めて行います。プロジェクションマッピングはデジタル技術と芸術を融合した先進的なアート表現(メディアアーツ)の一つで、音楽と連動して光のアート映像を大雪像に投射しながら、さっぽろ雪まつりの新たな魅力を世界に発信しました。台
豊平館は1880年(明治13年)高級西洋ホテルとして開拓使によって建造されました。1964年には国指定重要文化財となるなど、開拓使洋風木造建築技術の結晶であり、日本最古の純洋式木造ホテル建築ですディズニーリゾート。素敵な魔法で心温まるディズニーの夢の世界へとみなさんを誘います。
5丁目 氷の広場大氷像 中正記念堂(台湾) 7丁目 HBCタイ広場大雪像 ワット・ベンチャポビット」
(シメトリーの美しい寺院を雪像で)
中正紀念中正記念堂は中華民国(台湾)元総統・蒋介石(中正は蒋介石の本名)の顕彰施設。中国の伝統的な宮殿陵墓式を採用し、1980年に竣工しました。本堂の高さは約70メートル、青い尖った屋根と白い大理石の外壁の対比がとても美しく、
台北市の代表的な観光スポットとなっております。
中正記念堂(夜) |
中正記念堂(昼) |
ワット・ベンチャポビット |
ワット・ベンチャポビット |
ワット・ベンチャポビット |
1899年、ラーマ5世によって建てられた王立寺院です。建物のほとんどが大理石で出来ている為、「大理石寺院」とも呼ばれています。ここに使われている大理石は、イタリアから運ばれ屋根の瓦には、通常とは焼き方の異なる鮮やかなオレンジ色のものが使われています。ラーマ4世の王子が設計に関わり、左右対称の見事な本堂には、タイで最も美しいと言われる仏像を模した青銅製の仏像が安置されています。巻く回廊には世界各地
8丁目 雪のHTB広場 大雪像 歌舞伎座
平成22年5月より建替え工事に入っていた歌舞伎座が、いよいよ平成25年2月26日、竣工となりました。
この第5期となる新しい歌舞伎座は、江戸時代から歌舞伎が積み重ねてきた歴史という時間の継承をコンセプトとします。
瓦屋根、唐破風、欄干等の特徴的な意匠をはじめ、第4期歌舞伎座のデザインが踏襲されています。
6丁目 市民の広場 学校教育キャラクター
9丁目 市民の広場 中雪像 39 Thank you(湯〜)/北海道大学総合博物館
北海道大学には、130年以上前の札幌農学校時代から収集・保存・研究されてきた400万点以上の標本・資料が蓄積されており、その中には新種の発見・認定の基礎となる貴重なタイプ標本が1万点以上含まれています。
11丁目 国際広場 国際雪像コンクール 12丁目 市民の広場 市民雪像
開会行事 |
歌舞伎座 |
北海道大学 |
総合博物館 |
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ちびまるこ |
地元小学生 |
記念写真 |
国際広場 |
雪像製作中 |
市民手づくり |
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ユニークな作品 |
ゆきミク |
ユニークな作品 |
世界各地の国・地域・都市によるチームが参加して雪像制作を競いあいます
市民手づくりの力作やユニークな作品が並びます。
※ 吹雪の中市民広場で地元小学生と交流を記念写真を撮りました。
すすきの会場 (第33回すすきの氷の祭典)
「氷を見る」から「氷を楽しむ」をテーマに、大・中の氷彫刻や氷彫刻コンクール作品などの幻想的な氷像を展示します。
小樽運河の雪景とレトロな町並み
雪の小樽運河 |
雪の小樽運河 |
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雪あかりの路 |
雪の小樽運河 |
北一ガラス |
寿司通り |
歴史的建造物 |
歴史的建造物 |
歴史的建造物 |
小樽港は北海道開拓の玄関口として発展してきました。当時は、大きな船を沖に泊め、はしけ(台船)を使って荷揚げしていましたが、取り扱う荷量が多くなり、はしけが直接倉庫の近くまで入って行ける水路を作りました。これが「小樽運河」です。小樽運河は、大正12年に完成し、
内陸を掘り込んだ運河ではなく、海岸の沖合いを埋立てて造られたため、直線ではなく緩やかに湾曲しているのが特徴となっています。しかし、時代が変わり戦後になると、港の埠頭(ふとう)岸壁の整備により、その使命は終わりを告げることとなりました。現在の運河は、十数年に及んだ埋立てを巡る論争の末に、昭和61年、一部を埋立て、幅の半分が道路となり、散策路や街園が整備された現在の姿に生まれ変わりました。