ハウステンボスとランタンフェスティバル 光の競演
2月13・14・15・日
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大宰府天満宮
※ 原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。 「平和祈念像」 長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めました。毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされます。 「平和の泉」 原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。その痛ましい霊に水を捧げて、めい福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて浄財を募り建設された円形の泉で、平和公園の一角、平和祈念像の前方にあります。直径18メートルで昭和44年に完成しました。 平和の鳩と鶴の羽根を象徴した噴水が舞い、正面には、被爆し、水を求めてさまよった少女の手記「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」が刻まれています。大自然の力を感じられ、見どころがたくさんあります! |
グラバー園一帯(南山手)は、出島や東山手とともに外国人の居留地だった所で、園内には居留地時代から現存する旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅のほか、
市内に点在していた6棟の洋館を移築し計9棟の洋館があり、ありし日のおもかげを今に伝えています。 また、グラバー園は高台の斜面にあるために長崎湾や市街地を一望することができ、とても眺望の良い場所です。 このグラバー園に残っているオルト邸のオルト氏の妻であったエリザベスは後の回想録に当時の長崎の事をこのように書いています。 「長崎は本当に美しいところで、これ以上美しいところを私は知らない・・・・」 この高台から毎日、美しい景色を眺めていたエリザベスはイギリスに帰った後も、長崎の美しさを一生忘れなかったようです。 園内にひときわ大きな敷地を持っていたのがグラバー邸です。グラバー邸は文久3年(1863)に建てられた日本で最も古い木造洋風建築物です。 グラバーさんはスコットランドの出身で21歳の時に長崎に来てグラバー商会を設立しました。若干21歳で見ず知らずの未開の地であった日本に単身、乗り込んで来るとは、相当な冒険家であったようです。 グラバーさんは幕末の激動の時代に、志士達を陰でささえ、伊藤博文らの英国への留学も手伝いました。 江戸末期には長州藩は幕府から睨まれており武器を購入することができませんでした。坂本龍馬は自分のつくった日本最初の商社と言われている亀山社中を通して 薩摩藩名義で武器を購入し長州藩に横流しする方法を思いつき、最新銃4300丁と旧式銃3000丁をこのグラバー商会から購入したのです。 この銃が第二次長州征伐である四境戦争などで大活躍し長州藩を勝利に導き明治維新を成し遂げる大きな原動力となりました。このグラバー邸は坂本龍馬や伊藤俊輔、井上聞多などが 出入りした記念すべき建物なのです。 |
ハウステンボス
園内のフォレストヴィラ・・一階がリヴィング・二階にベットルームが二部屋ゆっくり出来ました。部屋の前は水路があり、白鳥や鴨が |
九十九島の展望と柳川舟下り・北原白秋の生家に
柳川藩主立花邸御花
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