西国番外
華頂山 元慶寺

(かちょうざん がんけいじ)

 京都市山科区北花山河原町

 
京都地下鉄東西線御陵(みささぎ)駅下車。
  御陵駅の1番出口を出て、広い通り(三条通)を東南の方向へ約100m進み、信号のある御陵交差点を南の方向に曲がる(右折)。道なりに南進し、JR東海道本線の下をくぐり、更に南進すると車の往来の多い道路に突き当たる。この交差点(六兵ェ池交差点)を西の方向に曲がり(右折)、約400m西進すると元慶寺の標識が見える。駅から徒歩約20分。


宗派:天台宗

本尊:薬師如来

開基:遍照僧正


 桓武天皇の孫にあたる遍照は仁明天皇の崩御に従い出家し、延暦寺で仏門に入り、貞観11年(869年)に華山寺を創建したとされている。その後、元慶元年(877年)には清和天皇の勅願寺となり、崋山寺から元慶寺に名称を変更したと伝えられている。

 応仁の乱までは寺域も広かったが、応仁の乱で寺が焼失してから、現在みられるような小さい規模の寺になったといわれている。

 花山天皇が、寛和2年(986年)19歳のときに出家し花山法皇となったのが、この元慶寺であるとされている。花山法皇は廃れかけていた西国霊場を復活させた人で、西国霊場中興の祖として知られている。
 
 「山門」は竜宮造りになっており、唐風で珍しい。

 「山門」には梵天と帝釈天が安置されていたようであるが、それらは京都国立博物館に寄託されているとのことである。門についている窓から中を覗くとこの旨の説明が書かれているのを見ることが出来るが、それらが何時この場所に戻されるかについての記載はない。

 門をくぐると、石畳が続いており、正面に納経所、左手に「本堂」が見える。

 「本堂」は木立の中に建てられており(左の写真)、元慶寺の境内が狭いためか「本堂」の前には広場もない。

 
「本堂」の正面である。
 
本堂には本尊である薬師如来の他に遍照の作と伝えられている木像が安置されているという。
御詠歌
 
てといわばいともかしこし花山(はなやま)にしばしと啼(な)かん鳥の音もがな