西国第十四番
長等山 園城寺(三井寺)

(ながらさん おんじょうじ(みいでら))

 滋賀県大津市園城寺町

 
京阪本線「三条」駅から京都地下鉄東西線に乗り換える。「浜大津」行きの場合は終点まで乗車する。「醍醐」行きの場合は「御陵(みささぎ)」駅で「浜大津」行きに乗り換えて終点で下車する。
 JRの場合は「山科」駅で下車し、京阪京津線の乗り場まで歩き「浜大津」行きに乗り換えて終点で下車する。
 「浜大津」で同じホームから出る石山坂本線の「坂本」行きに乗車し、次の「三井寺」駅で下車する。
 「三井寺」駅を出て琵琶湖疎水に沿って山側の方に進み、信号のある最初の交差点を右折し北国橋を渡り、次いで信号のある交差点を左折し、直進すると園城寺の仁王門に着く。

宗派:天台寺門宗総本山

本尊:如意輪観世音菩薩

開基:大友与多王


 壬申の乱で敗れた弘文天皇の菩提を弔うため、皇子の大友与多王が天武15年(686年)に寺を建立したのが創始と伝えられている。

 当初は大友氏の氏寺だったが、平安時代に比叡山の智証大師が寺を復興して延暦寺の別院としたといわれている。伝教大師(最澄)の死後、比叡山の慈覚大師と園城寺の智証大師の対立が激しくなり、園城寺はしばしば焼かれたようである。

 この対立が結果として、高僧の輩出、寺の発展を促し、東大寺、興福寺、延暦寺と共に園城寺は四大寺の一つに数えられるようになったという。

園城寺の名よりも一般には三井寺の名でよく知られているが、この名称は天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられている井戸があることに由来して、御井の寺とよばれ、これが後に三井寺と言われるようになったとされている。

 仁王門」は宝徳3年(1451年)の建築で、常楽寺にあった門を慶長6年(1601年)にここに移したとされている。

  門に安置されている金剛力士像は運慶の作といわれ重要文化財に指定されている。

 「仁王門」をくぐり参道を進み石段を上がると「金堂」正面前の広場に出る。

 「金堂」国宝に指定されている。

 金堂前の広場の東南側に「三井晩鐘」としてよく知られている「鐘楼」(左の写真)が建てられている。

 この「鐘楼」は重要文化財に指定されている。

 閼伽井屋の正面上部に左甚五郎の作といわれている「龍の彫刻」がある。

 この龍は夜になると琵琶湖に出て暴れたため、甚五郎が自ら龍の目玉に釘を打ち込み鎮めたという伝説があるらしい。

  「唐院」の中にはいくつかの建造物があるが、唐院の外から最も目につくのは「一切経堂」の南側にそびえている「三重塔」であろう。

 この塔は、室町時代初期の建築で、もとは奈良の比蘇寺にあったもので慶長6年(1601年)に徳川家康によって寄進されたといわれている。

 

 村雲橋」を渡り、右手に「微妙寺」、次いで極彩色に塗られた「毘沙門堂」を見て石段を上がると、園城寺の寺域最南部に位置している西国十四番札所の「観音堂」が建っている。

 現在の堂は元禄2年(1689年)に再建されたものといわれている。

「観音堂」に安置されている本尊「如意輪観世音菩薩」は平安時代の作とされ、三十三年毎に開扉される秘仏である。

 本尊「如意輪観世音菩薩」は重要文化財に指定されている。

 「観音堂」前の広場の隅にある石段を上ると展望所があり、大津市街や琵琶湖を遠望することができる

 左端の大きな建物が「観音堂」、手前は「手水舎」、広場奥に見える左側の建物は「百体堂」、右側は「観月舞台」である。

御詠歌
いで入るや波間の月を三井寺の鐘のひびきにあくるみずうみ
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