西国第二十一番
菩提山 穴太寺

(ぼだいさん あなおうじ)

 京都府亀岡市曽我部町穴太東の辻
 JR山陰本線(嵯峨野線)亀岡駅下車、駅前のバス停「亀岡駅前」から京都交通バスの「学園大学」行き、「余野」行き、「甘露寺前」行き、「太歳(おおとし)」行きの何れかに乗車し、「穴太口(あなおうぐち)」で下車する。約600m西の方向に進み、次いで北の方向に右折した後、直進すると穴太寺の仁王門に着く。「穴太口」バス停から寺まで徒歩約10分。

宗派:天台宗

本尊:聖観世音菩薩

開基:大伴古麿


 この寺は慶雲年間(704〜708年)に大伴古麿によって開創されたと伝えられており、当初の本尊は薬師如来だったらしい。

 応和2年(962年)、丹波在住の宇治宮成が京都の仏師感世に聖観音像の制作を依頼、造立したと伝えられているが、観音像の造立は寛弘7年(1010年)であるという説もある。観音像完成後、檀家が感世に礼(礼物は馬であったともいわれている)を渡したが、宇治宮成はその礼物が欲しくなり、待ち伏せして感世に向かって矢を射た。翌日、感世が生きているのを知り、観音像の胸に自分の放った矢が突き刺さっているのを見た宇治宮成は、自分の行いを悔い、仏門に入りその観音像を本尊として祀ったという。

 これは、観音の功徳を説く説話と思われるが、以後、この寺は身代わり観音の寺として信仰を集めてきたのは事実であろう。

 穴太寺の「仁王門」は三叉路になった道の傍に面して建てられており、門の直前を車が通行するという、かなり珍しい場所にある。

 「仁王門」は江戸中期の建造といわれている。当然のことかもしれないが柱などは上部に比べ、下部の方が汚れや傷みが激しい。


 「仁王門」は京都府の登録文化財になっている。
現存の「多宝塔」は文化元年(1804年)に建てられたものといわれており、他の建造物と同様、古寺としての雰囲気によくとけ込んでいる。

 「多宝塔」は京都府の文化財に指定されている

 
「仁王門」をくぐると正面に「本堂」(左の写真)が見える。

 寺は何回かの火災にあっており、現存の本堂は享保20年(1735年)に上棟、再建されたものといわれている。

 
左の写真は「本堂」正面である。この奥に祀られている現存の「本尊」、聖観世音菩薩は仏師定慶の作といわれており、秘仏であり通常直接の拝観は出来ない

 
先代の本尊、聖観音像は重要文化財に指定されていた仏像であるが、昭和43年に盗難に遭い行方不明になっており、未だ発見されていないらしい。この先代の観音像は、宇治宮成が仏門に入るきっかけとなった矢の突き刺さった聖観音像(縁起の項参照)であるともいわれているようであるが、時代的に合わないともいう。

 本堂内陣の右手に鎌倉後期の作といわれている「釈迦涅槃像」がある。この像は「なで仏」としてよく知られており、悪病を治すという言い伝えがあり、多くの人に撫でられてきたようである。10年ほど前までは写真撮影が可能であったが、数年前から禁止になっているようである。

御詠歌
かかる世に生まれあう身のあな憂(う)やと思わで頼め十声(とこえ)一声