西国第二十七番
書写山 圓教寺

(しょしゃざん えんぎょうじ)
 兵庫県姫路市書写

 
JR山陽本線姫路駅下車、駅前から姫路市バス[6]又は[8]系統「ロープウエイ書写駅」行きに乗車し、終点で下車する(バス乗車時間:約30分)。ロープウエイで「山上駅」まで上がる。「山上駅」から圓教寺摩尼殿までは徒歩で約25分。
 市バスの運行頻度は1時間に3〜4便。ロープウエイは通常15分毎に運行


宗派:天台宗

本尊:坐像如意輪観世音菩薩


開基:性空上人


 九州の霧島山で修行した性空上人は霊地を求めこの地にきたところ、紫雲がかかっている書写山を見て、この山に入り康保3年(966年)に草庵を開いたとされている。
 性空上人の徳はこの地方のみならず、広く都にまで知れ渡り、花山法皇は二度もここを訪れ、圓教寺の名を賜ったという。後白河法皇、後醍醐天皇もこの寺を訪れたといわれている。
 また、武将の信仰も厚かったようで、本多、松平、榊原の姫路城主の墓もここに残されている。
 それだけに、寺の格式も高く、天台宗の三大修行道場の一つに数えられている。

 ロープウエイの山上駅から15分ほど歩くと「仁王門」に着く。
 この「仁王門」は兵庫県指定文化財である。

 山上駅から仁王門までの参道は主に登りの坂道で、かなり急勾配の部分もある。参道途中には西国三十三ヶ所各寺院の本尊のレプリカが安置されている

 参道が終わると正面に巨大な舞台造りの「摩尼殿」が見える。

 摩尼殿は天禄元年(970年)の創建とされている。かつて、この場所に桜の木があり、その木に向かい天人が礼拝しているのを見た性空上人は、根のあるままの生木の幹に如意輪観世音菩薩を刻み本尊としたという。

 この本尊を安置する摩尼殿は、その桜の木の上に築いたため、山の斜面に寄りかかった舞台造りになったといわれている。

 場の向かって右側に「大講堂」(左の写真)が建っている。寛和2年(986年)に花山法皇の勅願により創建され、このときに、圓教寺の寺号を賜ったといわれている。

 ここは、お経の講義、論議が行われる学問と修行の場であったとされている。

 元徳3年(1331年)に全焼したがすぐに再建されたのが現在の建物で、昭和31年(1956年)に解体修理されたようである。大講堂は重要文化財に指定されており、ここに安置されている本尊、釈迦如来、脇侍、文殊菩薩と普賢菩薩何れも重要文化財である。
 広場中央には「食堂(じきどう)」が建っている。承安4年(1174年)に後白河法皇の勅願によって創建されたといわれている。

 ここは僧が勉強したり寝食をした寮として使われていたという。

 元徳3年(1331年)に全焼。以後、再建に着手したが、未完成のままで放置、昭和38年(1963年)の解体修理で完成したとされている。横に長い建物で、現在、二階は宝物館になっている。食堂も重要文化財に指定されている。

 広場の向かって左側には「常行堂」が建っている。創建の年代は不詳らしい。

 常行堂は、常行三昧のための道場で、堂の北側、大講堂に面して舞台がつけられており、釈迦如来に奉納するために舞や雅楽が行われたという。

 常行堂も元徳3年(1331年)に全焼しすぐに再建されたのが現在の建物で、昭和40年(1965年)に解体修理されたようである。常行堂及びここに安置されている本尊の阿弥陀如来は重要文化財に指定されている。

 圓教寺は西国三十三ヶ所霊場の西端に位置する寺である。東の比叡山に対して西の比叡山と称せられているとおり、寺域も広く立派な堂宇も多く建ち並んでおり、文化財も数多く所蔵されているようである。また、ここは紅葉の名所としても有名である。

御詠歌
はるばるとのぼれば書写の山おろし松のひびきも御法(みのり)なるらん