西国第二十八番
成相山 成相寺
(なりあいさん ないあいじ)
 京都府宮津市成相寺
 
北近畿タンゴ鉄道(KTR)天橋立駅(大阪及び京都から特急列車が乗り入れている)で下車。文殊堂の境内を通り、徒歩約5分で天橋立桟橋に出る。丹後海陸交通の遊覧船で一の宮桟橋まで乗船する。
 一の宮桟橋から一の宮籠神社の境内を抜け、徒歩約5分で傘松ケーブルの府中駅に着く。ケーブル傘松駅まで登る。ケーブル傘松駅から成相寺まではバスが運行しており、約6分の乗車で成相寺の山門前に着く。
 北近畿タンゴ鉄道天橋立駅前〜ケーブル下の間、バスが運行されているが便数は少なく(1時間に約1便)、また、所要時間からみても、船便を利用する方がはるかに便利である。


宗派:高野山真言宗


本尊:聖観世音菩薩

開基:真応上人

 真応上人が霊地を求め諸国を旅していたが、この地の風景に惹かれて庵を結び修行していたところ、慶雲元年(704年)のある日、老人が現れ観世音菩薩像を置いて立ち去った。上人はこの像を安置するための堂を建てたのが寺の創始とされている。
 大雪の続いた冬のある日、食べ物はなくなり上人は餓死寸前であったが、そこに一頭の傷ついた鹿が現れた。肉を食べてはならないという戒律があったが、命には代えられず、その鹿の肉を煮て食べた。上人は食べてから、鹿の肉と思ったのは本尊の腿の木片であることに気付き、観世音菩薩が身代わりになり助けてくれたことを知った。
 上人は喜び、木片を観世音菩薩の腿につけると像は元通りになったという。これが成相(合)寺の寺名の由来とされている伝説である。

  「山門」には見事な彫刻が施されているが、門の規模はそう大きなものではない。

 当初の成相寺は現在の地より更に山の上方にあったといわれており、応永7年(1400年)に起こった山崩れのために、現在の地に移されたという。

 山門から本堂までは約300mあり、この間に幾つかの堂宇が建てられており、それらの内の一つとして「五重塔」がある。

 「五重塔」は山門から本堂までの参道左側の広場の上側やや小高い場所に建てられている。

 この五重塔は「平成五重塔」とも呼ばれている。

 
 五重塔の西側に天橋立を見ることができる展望所があり、傘松公園から見るよりも、はるかに高い位置から天橋立が遠望できるようになっている。

 

 左側から見た本堂である。

 
                                 本堂」は入母屋造りで正面は千鳥破風で飾られており、安永3年(1774年)の建築といわれている。

 本尊の聖観世音菩薩は厨子の中に安置されており、秘仏になっていて直接拝観することはできない。
 本尊は真応上人が老人からもらった観世音菩薩像であるという説もある。

 「本堂」は京都府文化財に指定されている。

  この本尊は美人になれる観音様、美人観音ともいわれているようである。

御詠歌
波の音松のひびきも成相の風ふきわたす天の橋立