西国第三十番
巌金山 宝厳寺

(がんこんざん ほうごんじ)

 
滋賀県東浅井郡びわ町早崎

 
JR湖西線「近江今津」駅下車。東の方向へ徒歩約5分の今津港竹生島観光船乗り場から乗船し、島へ渡る。
 又は、JR北陸本線「長浜」駅下車。南の方向へ徒歩約10分の長浜港竹生島観光船乗り場から乗船し、島へ渡る。
 なお、JR東海道本線「彦根」駅で下車し、彦根港竹生島観光船乗り場から乗船する方法もあるが、船便は1日2便であり、彦根駅から彦根港までかなりの距離があるので不便であり、今津または長浜からの舟便を利用したほうがよい。

 京阪神から参拝する場合、「近江今津」経由の方がJRと船の運賃が安上がりである。但し、冬期は初詣船を除き運休する。

宗派:真言宗豊山派

本尊:大弁才天像。観音堂の本尊は千手千眼観世音菩薩

開基:行基菩薩


 神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願により、行基が竹生島に来島し弁才天像を造り小堂に安置したのがこの寺の創始と伝えられている。一方、行基が聖武天皇の勅願により寺を創始したのは天平10年(738年)であり、小堂に安置したのは行基が刻んだ四天王像であるという説もあるようで、いずれにしても明確ではないようである。

 平安時代には天台宗の僧が来島し、天台宗の修行の場として繁栄し、昌泰3年(900年)には宇多天皇も行幸したという。

 宝厳寺は湖上の小島にあるにも拘わらず何回もの火災に遭っているようである。永禄元年(1558年)には堂塔はことごとく焼失したという。この後、戦国動乱の中で復興にかなり難渋したらしいが、豊臣秀頼の力添えにより寺容が回復したと伝えられている。


 船着き場から見た宝厳寺の各堂宇は山腹に密着するような形で建てられており数軒ある土産物屋の前を通り抜け、拝観受付を通ると眼前に急勾配の石段がある。

 この石段は「本堂」前の広場まで165段あるといわれているが、特に二番目の鳥居をくぐったところからの石段は勾配が大きくなっている。

 「本堂」までの石段の途中、最初の鳥居のところで「都久夫須麻
(つくぶすま)神社」への参道、また、石段を更に上った二番目の鳥居のところで「観音堂」への石畳が分岐しているが、真っ直ぐに上り、「本堂」に参拝。

 石段を上った広場左手に「本堂(弁才天堂)」が建てられている。

 現存の藤原様式の「本堂」は昭和17年(1942年)に建てられたようで、確かに見た目にも新しい。

 「本堂」は「弁才天堂」とも呼ばれているが、これは本尊が弁才天像であることに基づいている。

 正面から見た「唐門」で、「観音堂」の屋根の頂部が「唐門」の屋根の背後に見える。

 唐門、観音堂共に慶長7年(1602年)に京都東山の豊国廟から移築したものとされ、唐門は豊国神社の唐門又は極楽門だったものといわれている。何れも桃山時代の代表的な建築物とされている。

 「唐門」は国宝に指定されている。

 

 観音堂」から「都久夫須麻(つくぶすま)神社本殿」までの間に「舟廊下」が通じている。

 舟廊下と呼ばれているのは、これが秀吉の御座舟を利用して造られたことに由来するといわれている。

 「舟廊下」も唐門、観音堂と同じ年、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が片桐且元に命じ、京都から移築したものとされている。

「観音堂」は重要文化財に指定されている
御詠歌
 
月も日も波間に浮かぶ竹生島船に宝を積むここちして