西国第三十三番
谷汲山 華厳寺

(たにぐみさん けごんじ)

 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積

 
樽見鉄道「大垣」駅(JR大垣駅構内にある)から樽見鉄道で「樽見」行きに乗車し「谷汲口」駅で下車する。駅前から名阪近鉄バス「谷汲山」行きで終点の「谷汲山」まで乗車する。
 バス停から華厳寺の山門まで北の方向へ徒歩数分。


 
会津の住人であった大口大領が地元の文殊菩薩から授かった榎の霊木を持ち、京都に来て仏師に十一面観音像を彫らせた。この仏像を持って会津に帰る途中、この地に来ると仏像が急に重くなり動けなくなったという。

 そのため、大口大領は山中で修行していた豊然上人の助けをかり、延暦17年(798年)に堂を建てこの観音像を祀った。これが華厳寺の創始と伝えられている。堂を建てるとき、山中から油が湧き、これを灯明に用いたという言い伝えもあり、谷汲の地名はこれに由来してるという。

 谷汲山華厳寺の名称は醍醐天皇から賜ったとされている。

宗派:
天台宗

本尊:
十一面観世音菩薩

開基:
豊然上人、大口大
車場から仁王門までの間は門前町になっており、数多くの土産物屋などが軒を連ねている。

 また、道の両側には桜の並木があり、季節には桜の花見に訪れる人が多いと聞く。この桜並木を保存するため、バス停は仁王門からかなり離れた場所にあり、仁王門の近くまで乗り入れることが出来ない。

 「仁王門」の前には『西国第三十三番満願霊場』と書かれた石碑が立てられ、両脇には運慶の作と伝えられている仁王像が置かれている。

 門の左右には普通サイズの草鞋の他に巨大な「草鞋(わらじ)」がぶら下がっている。華厳寺に限らず、草鞋が奉納されている西国三十三ヶ所の寺院をしばしば見るが、このように巨大な草鞋はここだけである。
仁王門をくぐると本堂前の石段まで「参道」が続く。

 「参道」の両側には石灯籠が並び、『南無十一面観世音菩薩』と書かれている奉納のぼりが何本も立っている。
 
境内は紅葉が多く、秋の紅葉の季節は見物であろう
石段を上がると、直ぐ「本堂」である。
 現存の「本堂」は明治12年(1879年)に再建されたものといわれており、120年以上経日しているがあまり古い感じはしない。多分、再建されてから現在までの間で改修が行われているのであろう。

 本堂に祀られている「本尊、十一面観世音菩薩」は秘仏であり、直接の拝観はできない。

 

  本堂は未来
本堂の左側奥に、本堂に密接して「笈摺(おいずる)堂」と名付けられた小さな堂が建てられている。

 「笈摺堂」は本来、西国三十三ヶ所巡礼の満願をむかえた人が巡礼中に使用した笈摺(巡礼者が着物の上に着る袖無し羽織に似たうすい衣)や笠などを奉納する堂であるが、写真でもわかるように、彩色の折り紙で折った千羽鶴や絵馬、巡礼者の名前と写真を入れた額なども奉納されている。



 おいづる堂は過
笈摺堂の左(西側)の石段を上がると「満願堂」が建っている。

 堂の前の石灯籠には『満願』と書かれているが、書かれている石が丸っこく、何となく『満腹』を連想させユーモラスである。

 参拝者の多くは「本堂」と「笈摺堂」の参拝を済ませると帰路につき、「満願堂」まで参拝に訪れる人はやや少なくなるようである。


  満願堂は現在

本堂正面の左右の柱に青銅の精進落としの鯉にふれて俗界かえる。
谷汲山華厳寺は西国三十三ヶ所満願の寺であるが、現実には巡礼の最後に参拝する寺とは限らず、極端な場合、華厳寺を最初に参拝する人もあるという。

 
しかしながら一応、満願の寺とされているので、朱印も過去(笈摺堂)、現在(満願堂)、未来(本堂)の三つがある。御詠歌も下記の通り三つある。

御詠歌

(過去) いままでは親と頼みし笈摺を脱ぎて納むる美濃の谷汲
(現在) 
よろずよの願いをここに納めおく水は苔よりいづる谷汲
(未来) 
世を照らす仏のしるしありければまだともしびも消えぬなりけり
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