西国第四番
槇尾山 施福寺(槇尾寺)

(まきのおさん せふくじ(まきおでら))


 大阪府和泉市槙尾山町

 
以前は施福寺への急勾配の参道が始まるところまで南海バスが運行されており、そこに「槇尾山」停留所があったが、「槙尾山口」から「槙尾山」までのバス路線が廃止になった。
 現在では、施福寺の参道下までは自家用車かタクシーを利用し、そこから寺までは以前と同様参道を上がるか、又は「槙尾山口」まで南海バスに乗り、そこから全て徒歩で施福寺まで行くか、何れかの方法によらなければならない。
 バス停「槙尾山口」から元あったバス停「槙尾山」までは約3.6kmある。「槙尾山口」から徒歩によるとすれば、以前よりもこの分だけ歩く距離が長くなる。

宗派:天台宗

本尊:千手千眼観世音菩薩

開基:行満上人


 この寺は欽明天皇の時代(550年頃)に、天皇の病気治癒の勅願により行満上人によって開かれ、弥勒菩薩を安置したのが草創とされている。
 行基菩薩もここで修行したと伝えられ、また、弘法大師はここで剃髪したとされている。
 かつて、寺は非常に栄えたらしい。しかし、織田信長の兵火に遭い、殆ど破壊されたようである。その後、豊臣秀頼によって再興されたといわれているが、ただ、以前のような隆盛はなくなったという。

 仁王門をくぐると、参道は再び急勾配の、自然石で造られた石段になり、道幅も狭くなって歩きにくくなる。

 このような状態の参道が約20分間続く。
 参道途中には所々に小さな石仏が安置されており、硬貨が入れられた小さな賽銭箱が側に置かれている。


 

 寺の規模はそう大きくはなく、「本堂」も特に大きいようには見えない。
 施福寺は、かつては真言宗の寺として栄えたとされているが、江戸時代初期には天台宗に改宗したようである。
 本尊も当初、弥勒菩薩であったのが、後に、行基の弟子である法海が観世音菩薩を刻んで本尊としたという。
 現在、本堂に安置されている本尊は法海が刻んだものかどうかはわからないが、秘仏になっており、年に1回だけ開扉されているようである。

 本堂に向かって左側、本堂の傍に「西国第四番霊場槇尾山施福寺/十一面千手千眼観世音菩薩」の銘のある仏像が安置されている。


 

御詠歌
深山路(みやまじ)や檜原(ひばら)松原わけゆけば槇尾寺(まきのおでら)に駒ぞいさめる