西国第五番
紫雲山 葛井寺

(しうんざん ふじいでら)
 大阪府藤井寺市藤井寺

 
近鉄南大阪線藤井寺駅下車、南出口を出て東の方向へ約50m進み、右折、商店街を南に向かって約150m進むと左手に寺の西門が見える。

宗派:真言宗御室派

本尊:十一面千手千眼観世音菩薩


開基:行基


 
この寺は7世紀代に、百済から渡来した葛井氏の氏寺として建立されたと考えられている。
 その後、神亀2年(725年)に聖武天皇の勅願により千手観世音菩薩を安置、行基が開眼法要を行ったとされ、これが葛井寺の創始とされているようである。
 葛井寺に所蔵されている室町時代の「葛井寺参詣曼陀羅」によれば、当時は薬師寺式伽藍配置をとっていたと推定されているようである。
 葛井寺は奈良時代から平安時代にかけて大いに栄えたという。
 永正7年(1510年)の大地震で寺の諸堂が倒壊したが、そのあと修復され、現在の規模になったといわれている。

 葛井寺の門としては、この「四脚門」の他に「南大門」がある。

 「四脚門」は小ぶりであるが、これに比べ、「南大門」は大きく堂々とした造りである。

 「四脚門」と同様に赤い色に塗られているが、「南大門」の方は赤というよりもむしろピンク色に近く、かなり派手な印象を受ける。

 
 「南大門」をくぐると奥に本堂が見え、石畳が真っ直ぐ本堂の正面に向かっている。この南大門が正門となっているようである。

 本尊は毎月18日に開扉、公開されている。これに合わせて本堂内部も公開されており、寺宝も拝観することが出来る。

 また、18日の本尊開扉日には参詣者が多い関係からか、西門から本堂までの石畳の両側や本堂の前には、何軒かの露店が開店し、履き物や衣類を売っている。

 

 本尊は厨子の奥に安置されており、厨子内部は暗いため見にくいが、できるだけ近くに寄り、ジッと眼をこらすと本尊の姿を拝観することが出来る。

  仏像自体は大きいものではないが、像には多数の脇手がビッシリと出ている。脇手の数は1039本あるという。これらの脇手の内、38本あるという比較的大きい脇手は仏具らしきものを持っているが、これらは経典に定められたものらしい。また、全ての手の掌には眼が描かれていたという。

 

御詠歌
まいるより頼みをかくる葛井寺花のうてなに紫の雲
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