西国第九番
興福寺 南円堂

(こうふくじ なんえんどう)

 奈良市登大路町

 
近鉄奈良線奈良駅下車。駅東口を出て国道369号線(登大路)を東の方向に約300m進むと興福寺の標識がある。ここを右折し興福寺の境内を南の方向へ約200m進むと五重塔があり、その約200m西側に「南円堂」がある。駅から「南円堂」まで徒歩約7分。
 又は、近鉄奈良駅下車。駅の東口から出ると直ぐ傍にある東向通を南側に曲がり、商店街を約250m南下し三条通に出て東の方向に(左折)進む。約200m進むと左手に「南円堂」に向かう石段と標識が見える。
宗派:法相宗(大本山)

本尊:不空羂索観世音菩薩

開基:藤原冬嗣

 藤原氏の氏寺である興福寺はもとは飛鳥にあったが、和銅3年(710年)に現在の地に移ってきたとされている。「南円堂」はその約100年後、弘仁4年(813年)に興福寺の一堂として、藤原冬嗣が父、内麻呂の供養と一族の繁栄を願い建立したといわれている。

 堂を建てるに際し、白銀の観音像千体を埋めて地鎮としたと伝えられている。

 興福寺は何回もの火災に遭っているようで、特に治承4年(1180年)の平重衡による兵火では南円堂の本尊も焼失したという。また、享保2年(1717年)の大火直後は復興する力もなく建物不在であったが、寛政9年(1797年)に再建されたといわれており、これが現存の南円堂であるとされている。

 「南円堂」は日本で最も大きい八角円堂といわれており、興福寺の諸堂の中でも建立された時期は最も新しく、南円堂の造営をもって興福寺全体の規模が整ったという。

 「南円堂」の正面には、弘仁7年(816年)に造られたとされている「金銅灯籠」が立てられていたといわれている。現在、「金銅灯籠」はこの場所にはなく、興福寺の国宝館に保存展示されている。なお、この「金銅灯籠」は国宝に指定されている。

 「南円堂」の西南側でやや下がったところ、興福寺境内の西南側の隅に「三重塔」が建っている。

 「三重塔」は康次2年(1143年)の創建といわれているが、治承4年(1180年)の大火で焼失、その後、鎌倉時代初期に再建されたと考えられている。

 塔の二、三層に比べ初層の大きいのが特徴的であり、そのためか安定感のある造りになっている。

 

 「三重塔」は国宝に指定されている。

 興福寺でよく知られている建築物の一つに境内ほぼ中程南側に建てられている「五重塔」がある。

 塔の高さは約50mあり、古塔では京都の東寺の五重塔に次いでの大きさであるという。

 「五重塔」は天平2年(730年)、光明皇后によって創建されたものと伝えられているが、数回の火災に遭いその度に焼失、現存のものは応永33年(1426年)に再建されたものといわれている。

 「五重塔」の北側に「東金堂」が建っているが、この付近が観光客の最も多く訪れる場所である。

 「五重塔」、「東金堂」共に国宝に指定されている。

御詠歌
 
春の日は南円堂にかがやきて三笠の山に晴るるうす雲
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